2017年08月10日
追悼・JAL123便墜落の真相の謎
みなさま、こんにちは。
昨日は猛暑日になりとてもたいへんでしたね。
さて、この時期になりますと33年前の日航ジャンボ機墜落事故関連のニュースが毎年報道され航空機事故の恐ろしさを思い起こします。
この事故の概要は1985年8月12日、乗員乗客あわせて524名を乗せた羽田空港18:00発伊丹空港行き(18:56着予定)の日本航空123便(B747SR・JA8119)が羽田空港を離陸。
しかし離陸して約30分後に、機体に異常が発生。操縦不能に陥った機体は迷走を続け、パイロットの必死の努力もむなしく、異常発生の約30分後に群馬県と長野県の県境にある御巣鷹の尾根へ墜落したものです。
この事故で乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名でした。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2017年7月の時点で最多のものとなりました。
のちに当時の運輸省の事故調査委員会はこの事故の原因はジャンボ機後部にある圧力隔壁の破損して操縦のための油圧系統が破損して操縦不能となり迷走して御巣鷹山間部に激突したものと発表されております。
しかし航空関係者や遺族などの一部からは事故原因の再調査を求める声がありますが現在に至るまで行われていません。
といいますのも事故調査委員会の発表に疑問をもっていると考えられます。
墜落したこのジャンボ機は1978年6月2日大阪空港で着陸の際
機首上げ角度が大きかったため、しりもち事故を起こしたJA8119機
だったのです。その結果、圧力隔壁の破損が起きてボーイング社によって修理されたものなのです。
墜落したJA1819号機
ところがです、私が数年前、ある国防関係に携わる筋の人から
とんでもない話を聞いたのです。
あまりの衝撃で今日まで口をふさいでおりました。
二年前に下記の内容でこのブログで更新した際、ある専門家から否定的なメッセージをいただきました。そこには、このジェット戦闘機説、そして自衛隊相模湾訓練説、など複数の専門家の分析があるというのです。
そこで今回は私が聞いたジェット戦闘機説で話をすすめてみました。
ここから一部重複しますが、その内容とは、JAL123便は事故当日、大阪に向けて羽田を離陸し高度を上げながら順調に飛行し相模湾上空にに来た時でした。
「ボーン」
という大きな音がしました。国籍は申し上げられませんが飛行訓練
中のジェット戦闘機がJAL機の垂直尾翼に激突して上部が破損したの
です。
このJAL機とジェット戦闘機の状況を「横田空域レータ゛ー」が監視していたのです。衝突したジェット戦闘機のパイロットはパラシュートで緊急脱出し米軍の船舶が救出したそうです。
一方のJAL機は操縦不能に陥りパイロットは必死で機体を立て直
そうとしたのですが迷走を続けたのでした。
この飛行状況を「横田」のレーダーは追い続け関東北部でJAL機の機影が消えたので米軍厚木基地から海軍の夜間偵察ヘリが現場へ向かい山間部で炎が確認されたというのです。
なぜ、この米軍救援ヘリが救出しなかったのかは今だに謎につつまれています。
結局、翌日から自衛隊による救出が行われ、何名かの生存者が生還いたしました。
二度とこのような悲惨な航空事故を風化させないためにも今年も書きました。
事故で犠牲になられた方のお御霊に心から冥福をお祈り申し上げます。
合掌
自衛隊へりによる必死の生存者救出活動
☆この写真の生存者の方は、ある地方で立派な看護師として活躍されています。
参加しています
立川情報をクリックして頂けると嬉しいです!
昨日は猛暑日になりとてもたいへんでしたね。
さて、この時期になりますと33年前の日航ジャンボ機墜落事故関連のニュースが毎年報道され航空機事故の恐ろしさを思い起こします。
この事故の概要は1985年8月12日、乗員乗客あわせて524名を乗せた羽田空港18:00発伊丹空港行き(18:56着予定)の日本航空123便(B747SR・JA8119)が羽田空港を離陸。
しかし離陸して約30分後に、機体に異常が発生。操縦不能に陥った機体は迷走を続け、パイロットの必死の努力もむなしく、異常発生の約30分後に群馬県と長野県の県境にある御巣鷹の尾根へ墜落したものです。
この事故で乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名でした。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2017年7月の時点で最多のものとなりました。
のちに当時の運輸省の事故調査委員会はこの事故の原因はジャンボ機後部にある圧力隔壁の破損して操縦のための油圧系統が破損して操縦不能となり迷走して御巣鷹山間部に激突したものと発表されております。
しかし航空関係者や遺族などの一部からは事故原因の再調査を求める声がありますが現在に至るまで行われていません。
といいますのも事故調査委員会の発表に疑問をもっていると考えられます。
墜落したこのジャンボ機は1978年6月2日大阪空港で着陸の際
機首上げ角度が大きかったため、しりもち事故を起こしたJA8119機
だったのです。その結果、圧力隔壁の破損が起きてボーイング社によって修理されたものなのです。
墜落したJA1819号機
ところがです、私が数年前、ある国防関係に携わる筋の人から
とんでもない話を聞いたのです。
あまりの衝撃で今日まで口をふさいでおりました。
二年前に下記の内容でこのブログで更新した際、ある専門家から否定的なメッセージをいただきました。そこには、このジェット戦闘機説、そして自衛隊相模湾訓練説、など複数の専門家の分析があるというのです。
そこで今回は私が聞いたジェット戦闘機説で話をすすめてみました。
ここから一部重複しますが、その内容とは、JAL123便は事故当日、大阪に向けて羽田を離陸し高度を上げながら順調に飛行し相模湾上空にに来た時でした。
「ボーン」
という大きな音がしました。国籍は申し上げられませんが飛行訓練
中のジェット戦闘機がJAL機の垂直尾翼に激突して上部が破損したの
です。
このJAL機とジェット戦闘機の状況を「横田空域レータ゛ー」が監視していたのです。衝突したジェット戦闘機のパイロットはパラシュートで緊急脱出し米軍の船舶が救出したそうです。
一方のJAL機は操縦不能に陥りパイロットは必死で機体を立て直
そうとしたのですが迷走を続けたのでした。
この飛行状況を「横田」のレーダーは追い続け関東北部でJAL機の機影が消えたので米軍厚木基地から海軍の夜間偵察ヘリが現場へ向かい山間部で炎が確認されたというのです。
なぜ、この米軍救援ヘリが救出しなかったのかは今だに謎につつまれています。
結局、翌日から自衛隊による救出が行われ、何名かの生存者が生還いたしました。
二度とこのような悲惨な航空事故を風化させないためにも今年も書きました。
事故で犠牲になられた方のお御霊に心から冥福をお祈り申し上げます。
合掌
自衛隊へりによる必死の生存者救出活動
☆この写真の生存者の方は、ある地方で立派な看護師として活躍されています。
参加しています
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Posted by takachan
at 09:25
│Comments(2)
そしてkoyuriさん、おっしゃるように事故原因や生存者救出についても、かなり行政府が関与していて謎も多いのです。
いつも申し上げていますが政治は国民のためにあるのですから無理でしょうが彼らは初心に返ってもらいたいですね。
政治改革の必要性を強く感じます。
その話は既に知っておりますが、それが真実がどうかも確証が無いワケで‥‥
何しろ、平気で白々しい嘘を国会で延々と話続ける人々ばかりなのですから。