たまりば

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Posted by たまりば運営事務局  at 

2016年03月26日

生保・打ち切りで自殺の真相


「福祉が人を殺すことがあってはならない!」
上條議員が一般質問で追求
前号で取り上げました生活保護を打ち切りされ自殺したその
概要が同議員の調査で明らかになってまいりました。
共産党の上條市議は3月14日に、生活保護を廃止された男性が
「自殺」した問題を独自の調査を基に立川市に対し厳しく追及しました。

議員は市の情報公開された文書には就労指導に従わなかったことを理由に昨年11月31日付けで生活保護を廃止いたしました。
しかし議員の調査の結果、自殺した男性がかって路上生活の経験があり、うつ病などの精神疾患があったという。
そのため就労指導の対象としてはならないことなどを指摘し

「福祉が人を殺すなどということは絶対あってはならない。
 市として、しっかりと検証を行い、二度とこうしたことを繰り返さないことこそ、やらなければならないことではないか。」

と追求いたしました。
これに対して副市長は

「私どもの対応の仕方について、瑕疵含めてあるということであれば、十分留意しなければならないし、反省もし、今後の将来の再発防止に取り組んでいかなければならない。」

と答弁いたしました。副市長の答弁は事実を認め、改善を約束したもので、市としての今後の対応か゛どうなるのか注目されています。




一方、内閣府では自殺防止対策として
「こころの健康相談ダイヤル」0570-064-556 を設置して悩みの相談にのっています。


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  • Posted by takachan  at 11:22Comments(3)

    2016年03月22日

    立川で生活保護者が自殺

    今回は立川市の市議会がテーマです。
    立川市議団に昨年、告発文が届きました。

    「生活保護者が殺された!・・・・
    非情なやり方に命を絶ったよ
    貧乏人は死ぬしかないのか,真相を追究して!



    これに対して立川市議の日本共産党・上条彰一さん(左写真)は自身のフェスブックで次のようなメッセージをされていました。


    皆さん、私の一般質問の傍聴ありがとうございました。
    生活保護行政の問題では、私自身が実際に支援した、うつ病のある方が年金が増え、保護基準を超えたとして、保護を切られたために、大晦日に倒れて救急車で運ばれた問題も質問しました。病気の見極めが十分に検討されなかった点などを指摘し、改善を求めました。この方は医療保護が受けられました。
    新聞に報道された生活保護を切られた男性が自殺した問題では、個人情報の保護を盾に答弁しない市に、どうやったら答弁させるか工夫しました。私たちが調査した内容を詳しく紹介し状況を明らかにした上で、福祉が人を殺すようなことがあってはならないと質問しました。市長は答弁に立たず、担当部長が個人情報で明らかに出来ないとの答弁でしたが、一般論で答えざるをえなくなり、最後は副市長が、一般論としながらも
    「私どもの対応の仕方について、瑕疵含めてあるということであれば、
     充分留意しなれけばならないし、反省もし、今後の将来の再発防止
     に取り組んでいかなければならない」
    と答弁し改善を約束しました。
    私は瑕疵がないかどうか、情報を公開し、しっかりした検証が必要だと指摘しました。これからも頑張りますのでよろしくお願いします。


    立川市では2012年2月に母子家庭の親子が餓死で亡くなっているのが警察によって発見され、さらに翌月には90代と60代の母娘が介護疲れから衰弱し遺体が自冶会によって見つかり大きな社会問題となって、福祉行政のあり方が問われました。
    そして、今回の自殺事件となったのです。

    かって私が市議選の選挙カーの運転手をしていた時、同乗の
    ウグイス嬢の人が

    「生まれてよかった立川に
       住んでてよかった立川に
     皆さん、そんな素晴らしい立川にしましょうよ!」

    このテーマを書いてて、その時のことを思い出したのです。



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  • Posted by takachan  at 11:29Comments(3)

    2016年03月12日

    ソウルの夜の裏話

    みなさまこんにちは、先回まで緊張の軍事境界線の硬派のテーマでした。今回は韓国の番外編としてチョツト柔らかいテーマでおとどけいたします。
                     icon31
     
    1980年ころまでの韓国の経済情勢はまだ発展途上にありまして、経済成長の一つの手段として外貨獲得が必要でした。
    経済的には先をいく日本に対し観光誘致に力を入れ、今の中国人の観光訪日のように、ショッピングに力を入れ特に繊維製品の販売を主体としてこれを観光客に求めたものでした。
    そして夜ともなれば当時のソウルではキーセンパーティーなる宴が観光客相手に盛んに行われておりました。
    このキーセン(妓生)の由来は李氏朝鮮時代以前の朝鮮では諸外国からの使者や高官の接待や宮中宴会などで楽技を披露したり夜のお相手などをする女性のことです。
    1980年当時の日本から韓国への観光ツァーの目的はショッピングとキーセンパーティーがセットされたものが多くその結果、韓国は昼はショッピング、夜はキーセンパーテーで外貨を稼いだともいわれています。



    私が参加したパーティーはソウルの中心部から少し離れた場所にあり、韓国の伝統と歴史を感じさせるたてものでした。室内も同様で
    王朝時代の重厚な雰囲気で異国情緒たっぷりでした。
    床はオンドルで暖かく数人で行った私たちのグループが卓を囲み、その際、間を空けて座るよう云われたのです。
    やがてチョゴリ姿のキーセンの登場でした。それぞれが男性の間に左ひざを立てて座りました。これが正規の座り方だそうでした。
    そして、このパーティーの仕来りは左側の女性が今夜のお相手になるそうでした。
    私のパート-ナーは知的な美人でした。卓には宮中料理を模したものを当時のままの状態で金属の食器が時代を感じさせました。やがてキーセンの韓国舞踊が演じられそれを見ながらマッカリや青島ビールを飲み料理をたべたのです。
    そして肝心の女性は自分が気に入れば夜のお相手となり、気に入らなければこのパティーで「さようなら」となるのです。

    しかし、このキーセンパーティーは2004年韓国では売春特別法が成立して表向きは廃止となりました。



    余談になりますが、かって日本から政府高官を団長に北朝鮮に拉致被害者の交渉団を送り会談を行い、その夜、盛大な宴が行われそこにキーセンのような接待する女性が同席し宴を盛り上げそしてその夜、団長のみ北朝鮮政府の豪華宿泊所に泊まったのです。6部屋もある高級感ある施設で床の絨毯などふさふさのものでした。そして宴で気に入った接待女性と一夜を共にしたのです。その際、風呂に入るとその女性がその団長の全身をすみずみまで丁寧にボディシャンプーをしてくれたそうです。
    翌朝出発のとき飛行場で北朝鮮の役人から

    「団長、これはとっても貴重な我々からの贈り物です」

    重厚な箱を渡されました。帰国後この箱を開けたらビデオテープが一本入っていました。それを再生してみたらなんと宿泊所の風呂場で裸の姿で女性に洗ってもらっている団長の姿が鮮明に映し出されていたそうです。
    この話を知った党の幹部が後に、ある総理が拉致問題で訪朝した際、どんなに進められても絶対に宿泊しなかったのは、このビデオの件からだそうです。





            ピョンヤン空港
                                                              
                                                                                                                                                        
                                                          (おわり)


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  • Posted by takachan  at 10:14Comments(2)

    2016年03月04日

    ついに軍事境界線に!(No.3)


    バスは再び発車し橋を渡り、ソウルから約2時間のところに国連軍の駐屯基地へと到着しました。
    そこには武装した兵士が多数いて、バスの中で渡された宣言書を提出し更にパスポートを確認するとゲストと書かれたネームプレートを首から下げるよう指示され、食堂へと案内され、ちょつと早めの昼食となりました。この食事がとてもおいしく感じたのです。
    食事時間が終わり、いよいよ非武装地帯へと向かうのですが、ここからは国連軍のバスに乗り換えさせられ前後に警備のジープに挟まれ重々しい雰囲気で出発しました。この非武装地帯は境界線に有刺鉄線の金網が張ってあり厳重に管理されていて、道路はゲートで点検を受け入ります。そしてあちこちに銃を構えた国連軍の兵士の警戒する姿が見え、かっての激戦地だったことを思わせた。


    この非武装地帯は38゜線の境界線を中心に南北2Kmが朝鮮半島を二分している地帯になっている。やがてバスは目的地の板門店に到着。
    38゜線上に小さな建物がいくつか建っていて向こう側には北朝鮮の兵士が銃を携えた姿があちこちに見え緊張する。
    国連軍の兵士の案内で建物の内部を見学する。部屋の中央に横長にテーブルがおかれ、その中央に38゜線を示す線が引かれ時折開かれる南北会談の際にはこの線をはさみ北側に北朝鮮、南側に韓国の役人が座り話し合いが行われるという。
    窓から北側を見ると北朝鮮兵士が手招きで
    「おいで、おいで」
    と手を動かす。宣言書を守りこれを無視する。
    建物の外にでると路面にはっきりと境界線を示すラインが引いてあり北朝鮮兵がラインまで来てなにやら話しかけてきて、とても緊張する。同行者の話では過去にラインを超えて行った見学者が北朝鮮兵に捕まり連行されて以後、行方がわからなくなったという。この話を聞いてゾォーつとしました。そして急いでラインから離れたのです。



    ここはまさに戦闘なき戦場といった場所に思えた。常に南と北がにらみ合い監視し何とか平穏を保っているようだ。
    この状態がはたしていつまで続くのだろう。


    そして同一民族同士がどうして、こんな状態になってしまったのだろうか。
    約30分程度の見学でなにごともなく、ここを後にし帰路につく。
    すると今まで緊張していた気持ちがスゥーととれ落ち着いた気持ちで車窓から外を見る。再び駐屯地で、さっき乗ったバスに乗り換えソウルへと向かう。そしてなんともいえない安心感がした。
    バスの窓からは農村らしき風景が見え戦争とは無縁の地に思えた。戦争によって民族が分断されさまざまな悲しみや苦しみを
    この民族が負うのだろうか・・・。
    私たちの国、日本は平和の中にいるんだと改めて思った。

    ※次号は韓国の番外編として、チョッとH系を交えた
       「ソウルの夜の裏話」
                 どうぞ、ご期待ください!

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  • Posted by takachan  at 11:30Comments(2)