2013年08月12日
JAL123便御巣鷹山墜落事故を想う
この時期になりますと29年前の日航ジャンボ機墜落事故関連のニュ
ースが毎年報道され航空機事故の恐ろしさを思い起こします。
この事故の原因はジャンボ機後部にある圧力隔壁の破損して操縦の
ための油圧系統が破損して操縦不能となり30分も迷走して御巣鷹山間
部に激突したものと公表されております。
墜落したこのジャンボ機は1978年6月2日大阪空港で着陸の際
機首上げ角度が大きかったため、しりもち事故を起こしたJA8119機
だったのです。

ところがです、私が数年前、ある国防関係に携わる筋の人から
とんでもない話を聞いたのです。
あまりの衝撃で今日まで口をふさいでおりました。
その内容とは、JAL123便は事故当日、大阪に向けて羽田を離陸し
高度を上げながら順調に飛行し相模湾上空にに来た時でした。
「ボーン」
という大きな音がしました。国籍は申し上げられませんが飛行訓練
中のジェット戦闘機がJAL機の垂直尾翼に激突して上部が破損したの
です。
このJAL機とジェット戦闘機の状況を「横田ラプコン」と云う
米軍横田基地の空域レータ゛ーが監視していたのです。衝突した
ジェット戦闘機の
パイロットはパラシュートで緊急脱出し米軍の救難艇が
救出したのです。
一方のJAL機は操縦不能に陥りパイロットは必死で機体を立て直
そうとしたのですが迷走を続けたのでした。
この飛行状況を「横田ラプコン」のレーダーは追い続け
関東北部でJAL機の機影が消えたので米軍厚木基地から海軍の
夜間偵察ヘリが現場へ向かい山間部で炎が確認されたというのです。
なぜ、この米軍救援ヘリが救出しなかったのかは今だに謎につつまれています。
二度とこのような悲惨な航空事故を風化させないためにも今年も書きました。

墜落したJA1819号機
事故で犠牲になられた方のお御霊に心から冥福をお祈り申し上げます。
参加しています
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この事故の原因はジャンボ機後部にある圧力隔壁の破損して操縦の
ための油圧系統が破損して操縦不能となり30分も迷走して御巣鷹山間
部に激突したものと公表されております。
墜落したこのジャンボ機は1978年6月2日大阪空港で着陸の際
機首上げ角度が大きかったため、しりもち事故を起こしたJA8119機
だったのです。

ところがです、私が数年前、ある国防関係に携わる筋の人から
とんでもない話を聞いたのです。
あまりの衝撃で今日まで口をふさいでおりました。
その内容とは、JAL123便は事故当日、大阪に向けて羽田を離陸し
高度を上げながら順調に飛行し相模湾上空にに来た時でした。
「ボーン」
という大きな音がしました。国籍は申し上げられませんが飛行訓練
中のジェット戦闘機がJAL機の垂直尾翼に激突して上部が破損したの
です。
このJAL機とジェット戦闘機の状況を「横田ラプコン」と云う
米軍横田基地の空域レータ゛ーが監視していたのです。衝突した
ジェット戦闘機の
パイロットはパラシュートで緊急脱出し米軍の救難艇が
救出したのです。
一方のJAL機は操縦不能に陥りパイロットは必死で機体を立て直
そうとしたのですが迷走を続けたのでした。
この飛行状況を「横田ラプコン」のレーダーは追い続け
関東北部でJAL機の機影が消えたので米軍厚木基地から海軍の
夜間偵察ヘリが現場へ向かい山間部で炎が確認されたというのです。
なぜ、この米軍救援ヘリが救出しなかったのかは今だに謎につつまれています。
二度とこのような悲惨な航空事故を風化させないためにも今年も書きました。

墜落したJA1819号機
事故で犠牲になられた方のお御霊に心から冥福をお祈り申し上げます。
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タグ :御巣鷹山 JAL 墜落事故
Posted by takachan
at 18:51
│Comments(8)
この事故については諸説さまざまありましたが信頼できる防衛関係者で事故処理にも参加した人の話なので公表いたしました。
コメントありがとうございました。
一般的な分析では操縦不能になったのは自衛隊の過失だそうです。1971年にも岩手県で同様の粗相をしでかしてますね。国防以前ですね(笑)
自衛隊にいらした関係で相当詳しく情報を知っておられるのですね。
私の情報もこの筋の方からの証言でした。
当時はおっしゃるようにいろいろな仮説があったようですね。
改めてJAL御巣鷹山墜落事故の証言として考えてみたいと思います。
たいへん貴重で専門的なお話をいただきありがとうございます。
横槍を入れるようで、ごめんなさい。
この事故は、私が自衛隊に入隊したころの話ですね。当時も、色々な話が出ました。
自衛隊の無人標的機が衝突した。
米軍の戦闘機によるミサイル攻撃だ、等々。
「圧力隔壁」という単語を聞いたのも初めてでした。
747型機には、TCAS(ティーキャス)と呼ばれる装置が着いていて、他機の衝突が近づくと、警報が鳴ります。しかし、ボイスレコーダーには録音されていません。そのかわり機長の「爆発音がした」とあるだけです。
他の客の遺書にも、爆発音がしたとはあっても、衝突があったとはありません。衝突した方の軍用機は、救難信号を発しますが、どの管制も傍受していません。
また米軍は、日本に救難艇というのは保有していません。
横田ラブコンは、横田ラプコンでしょう。
YOKOTA-RAPCON。RAPCONとは管制区域Rader AProach CONtrolのこと(大文字を拾った略称です)。横田空域というほうが一般的です。
http://210.136.153.187/policy/kuko/1.gif
その空域は、関東地方の西半分と言えばわかり易いと思います。
そして、「爆発」があったのは、この横田空域の外側です。
また、事故機の飛行を監視していたレーダーは横田だけではありません。東京コントロールのレーダーも、自衛隊のレーダーも、「厚木基地から現場に向かうヘリ」の機影を見ていません。横田のレーダーだけに写るのは、おかしな話です。
なお「墜落直後に米軍機が現場上空に到達し、救助活動をしようとしたら日本側に断られた」と証言がありますが、この証言はこれを証明する他の証言者もありませんし、それを証明する証拠もありません。その上で証言者は1名だけなので全く信用出来ない証言と言っていいです。
これとは別に、墜落直後に沖縄から横田へ飛行していた米軍輸送機が無線傍受した横田基地の命令により現場上空を飛行し、「横田基地から305度方向34マイルに大きな炎」と無線報告したのは事実です。これは別に任務がある輸送機ですので、救難活動を行うための装備はありませんでした。
群馬県では、当日御巣鷹山周辺で大きな物音がし、ニュースと照らし合わせて、飛行機が御巣鷹山に墜落したのは分かっていましたが、夜に捜索は出来ないので、消防や自衛隊が麓で待機していました。
たとえ、米軍ヘリが出たとしても、夜の山間部の捜索は無理ですね。
・・・・・長文、失礼いたしました。
この事故の原因はブログにも書きましたが防衛関係の方から極秘で聞いた話でかなり信憑性があるようです。
それは米軍横田基地が大きく関与していることで当時。米軍の夜間救助隊を現地に派遣して救助するようでしたが何故か日本政府が断ったそうです。夜間救助をしていれば生存者ももっと多かったのかもしれません。
災難は忘れたころにやってくると申しますので今年も風化させないために書きました。事故の原因は巷間いろいろといわれておりますが謎につつまれているようです。
日米関係上真実を明らかに出来ないのではと思います。
これでは犠牲者の方は浮かばれません。
事実なら誠に悲しい事です。
日本って国は・・・
事故に遭われた方のご冥福を祈ります。
真実は闇に包まれたまま、三十年近い歳月が流れようとしてますけれども、日本は米国の属国扱いのままだと今の沖縄を見ても、残念に思います。