2011年05月12日
番外編/ギャラは一週間で120万円 (その2)
横浜そごうの オープニングセールは毎日が戦場のような忙しさでした。
それに加えて九州の明太子会社の社長が「横浜そごう」の
開店祝いに、ご祝儀を持って駆けつけてくれたのです。
私の立場はこの会社の下請けのようなものですから遠路来て
くれました社長さん達を夜のご接待をいたしました。
この時社長が
「とにかく凄い売上げですね〃
これからも会社を挙げてバックアップいたしますから
貴方の事業を発展させて下さい」
このような激励を頂戴したのです。
昼も夜も忙しく、この一週間の間に飲み会を三回もこなし
毎晩ビジネスホテルに宿泊するしまつでした。
結局、一週間の売上げが731万円の記録が出たのです。
しかしなんです。オープニングセールということで販売
価格を極端に低くしたのと、工場から応援に来てくれた人たちの
人件費や新幹線代、飲み代、宿泊費などの諸経費が大幅に増えたので、
このセールの純利益はタッタの14万円ほどにしかなりませんでした。
(横浜そごう)
今までの販売からいたしますと余りにも少なく終わったあとには
ガックリときて、どっと疲れが出てまいりました。

やがて気を取り直し
「ヨシ、次の仕事の東急東横のれん街で
頑張るぞ〃」
ここは、いつも安定した売上げで一週間で250万円の売上げ
純利益で100万円は固いのです。
私がやっています小売部門もこれまでの取引デパート
に加え、その系列の支店やローカルデパートなどが入り販路が
拡大していき販売スケジュールは立て込んできたのです。
しかし売上げで考えますと「東急東横のれん街」「横浜そご
う」「八王子そごう」以外は苦戦だったのでした。
でも、この三店のドル箱店があったからこそその後も安定した
商売の継続が出来たのです。
そんな時、ふと思ったのです。
過去に私は多額な資金を投入して輸入菓子の会社を起こし
失敗した経験から、今のこの仕事に対しお金を使わずこの様な
販売方法もあるのだなぁーと、しみじみと思ったものでした。
そして何年か後にやってきたバブル崩壊、これを境にデパート
催事の売り上げが急速に落ち込んでいったのです。
これがきっかけで低価格商材の
「大判焼き」
へと移行していって地方のスーパーへの巡回販売となり
今に繋がっています。
-おわりー
参加しています
立川情報をクリックして頂けると嬉しいです!

それに加えて九州の明太子会社の社長が「横浜そごう」の
開店祝いに、ご祝儀を持って駆けつけてくれたのです。
私の立場はこの会社の下請けのようなものですから遠路来て
くれました社長さん達を夜のご接待をいたしました。
この時社長が
「とにかく凄い売上げですね〃
これからも会社を挙げてバックアップいたしますから
貴方の事業を発展させて下さい」
このような激励を頂戴したのです。

昼も夜も忙しく、この一週間の間に飲み会を三回もこなし
毎晩ビジネスホテルに宿泊するしまつでした。
結局、一週間の売上げが731万円の記録が出たのです。
しかしなんです。オープニングセールということで販売
価格を極端に低くしたのと、工場から応援に来てくれた人たちの
人件費や新幹線代、飲み代、宿泊費などの諸経費が大幅に増えたので、
このセールの純利益はタッタの14万円ほどにしかなりませんでした。
(横浜そごう)
今までの販売からいたしますと余りにも少なく終わったあとには
ガックリときて、どっと疲れが出てまいりました。

やがて気を取り直し
「ヨシ、次の仕事の東急東横のれん街で
頑張るぞ〃」
ここは、いつも安定した売上げで一週間で250万円の売上げ
純利益で100万円は固いのです。
私がやっています小売部門もこれまでの取引デパート
に加え、その系列の支店やローカルデパートなどが入り販路が
拡大していき販売スケジュールは立て込んできたのです。
しかし売上げで考えますと「東急東横のれん街」「横浜そご
う」「八王子そごう」以外は苦戦だったのでした。
でも、この三店のドル箱店があったからこそその後も安定した
商売の継続が出来たのです。
そんな時、ふと思ったのです。
過去に私は多額な資金を投入して輸入菓子の会社を起こし
失敗した経験から、今のこの仕事に対しお金を使わずこの様な
販売方法もあるのだなぁーと、しみじみと思ったものでした。
そして何年か後にやってきたバブル崩壊、これを境にデパート
催事の売り上げが急速に落ち込んでいったのです。
これがきっかけで低価格商材の
「大判焼き」
へと移行していって地方のスーパーへの巡回販売となり
今に繋がっています。
-おわりー
参加しています


Posted by takachan
at 10:21
│Comments(11)
しかしながら、ウチの場合は足切りがありますので、とても三年も待つ訳にもいかず、先日僕の彼女から、厄除けを貰いました(笑)
その日の効率と売り上げが上がったのは、言うまでもありません(苦笑)
それから、会社の都合で来月より他の基地になりますので、この足枷からは解放されると信じています。
禅問答のようになりますが、今の1321が辛いという気持ちは理解できます。なんの世界でも相性がございます。
私の体験を申しましょう。
旅回り時代です。青森県の弘前のデパートに営業にいったのです。係長にアポイントしたにもかかわらず3時間待たされ挙句の果て
「今、忙しいんだ」
商談になりませんでした。その後何度もまいりやっと商談が成立して、この地で商売をはじめたのですが思うように売れません。
同業者が同情して
「社長、ここは相性が悪いですし、担当係長も人柄よくないしね」
でも私はめげずに何回もやったのです。
そして3年後のお得意様招待セールの時でした
一日の売り上げが47万円の記録がでたのです。
諦めず続けたことが良い結果だったと今でも思ってます。
お返事、そして寂聴さんのお話し 有難うございます!
諸行無常については、僕も日々 実感しているので、今まで辛抱して来ましたが、1321が変わる事は無いでしょうね。
道具にも個性というか、癖みたいなモノがあり、同じカンナでも、使う大工によって、使い易かったり、使い難かったりするという話しを、聞いた事はありませんか?
今まで乗った他の車と比べても、1321は僕のやり方には馴染みませんでした(苦笑)
そして、僕が凡そ出来得る限りの努力を重ねても、この車では事態は好転しませんでしたね。
これは僕の金運や仕事運についても然りですが、今までが大変だったのだから、今度こそ幸運がやって来るだろうと信じても、他の人には当たり前ぐらいの幸運で終ってますね(汗)
だからこそ、重ねた努力を幸運に結びつけられる方法を知りたいのです!
バブル時代はホントに今に思うと凄かったですよね。
タクシーからいきなり明太子販売へと・・・。
うまくいったのも時代のお陰だったように思います。
その後の旅回りでは当初は苦労の連続でしたが、ローカルのお客様の人情に助けられ今日があると思っています。
ひして今は日々勉強と思いながら暮らしてます。
東洋医学を実感中です。
確かにおっしゃるように完成品よりも自家製品のほうが、はるかに利益率が多いのです。
特に大判焼き、お好み焼き、たこ焼きは業界用語で「粉もの」といいまして利益は大きいのです。
鳥山さん、お元気ですか。
私の人生イロイロありで今思うとほんとに懐かしい気持ちです。
放送の世界で云いますと
「東急東横」はキー局でやがて旅まわりでローカル局に行ったみたいなものでした。
でも、ここで出会ったのが当時ではドル箱デパートだった
「正札竹村」でした。旅回りは地図を頼りにやったのですが売り上げ情報はなかったので、暗闇を手探りで歩く感じでした。
そして、お金が不足したときは心細くなっちゃったのです。
私が崇拝しています瀬戸内寂聴先生はこう申してます。
人生晴れる日もあれば曇る日もあります。
良いこともだけど
悪いことも長くは続かないの。
これを「無常」と申します。
きっと田原さん、1321も「無常」で考えてみませんか。
日々の苦しみが明日の幸につながると思います。
しびれますね(>。<;
まさにバブル時代でしたね。
儲かるときもすごかったことでしょう。
自分が東京で働いていたときを思い出します。
自分はスーパーマーケットに勤めていたのだけれど
年に何回も研修旅行なんていって観光&飲み会が
しょっちゅうでしたからね。(^ー^;
今から考えると遠い過去のこと。
まさにバブル時代でした。
完成した商品を販売して儲けるよりも、安い原価で消費者に直接食べて貰うモノを提供するという商売の方が、生き残っている様に思います。
商店街のホトンドが、食べ物屋さんに変化している時代ですから。
僕の場合は残念ながら、谷あり、丘あり程度でしたね(苦笑)
名古屋に来てタクシーに乗り始めてからも、774の頃は、それでも嬉しい事も多かったですが、1321になってからは、殆ど泣かされっぱなしです!
他の営業車に乗ると営収がハッキリ上がるのですが、前の課長に相談しても、却下されてしまい、相性の悪さを認めて貰えません(汗)
774の時は楽しかった仕事が、1321になってからは、苦痛の毎日です(泣)
努力を幸運に結びつける方法が、知りたいですねぇ。