安楽死で死なせてください

takachan

2017年09月02日 09:31

みなさん、こんにちは。
若いころには死などということを全く考えませんでした。遥か遠い先のことととらえていたからです。
それが高齢になるにつれて考えるようになったのです。
若い方もいずれ年月がたち私と同じ年齢になりますと、きっと死を意識するようになると思います。
さて、今回はとても衝撃的なタイトルですが、これは「渡る世間は鬼ばかり」の脚本家・橋田 壽賀子さんの著書なのです。
私は広告でこのタイトルを見て私の考えていることと一緒だと思いまして今回はこのことについてお話いたします。
そして著者は「生まれる自由はないのだから、せめて死ぬ自由はほしい」とも述べています。まったく同感なのです。
そして、こうも述べています。
「私は一人だから食事から下の世話まで人さまの手を借りるなら、そうなる前に死なせてもらいたい。これは、尊厳とプライドの問題です。死ぬときに、痛いのや苦しいのも嫌です。だからいつどうやって死ぬか、自分の意思で決めさせてもらいたい。それには安楽死しかありません。」




人は私も含めて高齢になりますと頭の隅に「死」というものが存在いたします。しかし、その死に方は人それぞれだと思います。
そこで私の死生観を述べましょう。まず私の人生を振り返りますと自分自身ではとても納得したものだと思っています。そして50年以上連れ添ってきてくれた妻に心の底から感謝しています。
妻との結婚はまさに略奪的なもので、それぞれの両親に心配かけました。
そこからが本当の意味で私の人生がスタートしたと考えてすます。
自分では充実した人生だったと思っています。仕事は自分で望んだことをやりサラリーマン時代を除けば、なにものにも拘束されづ思ったようにできました。その中でいいこと、悪いことさまざまとありましたが、全て自分の責任です。とにかく、いつも一生懸命が好きでした。なにごとも中途半端は嫌いでした。窮地に陥ったときは妻に心配をかけましたが自分で解決してまいりました。
ある意味では波乱万丈の人生だったのかもしれません。それだけ妻にはとても心配かけましたが太っ腹でおおらかな妻には逆に叱咤激励もされました。
以外と私は繊細だったかもしれません。ですからこのような話をブログに書くのかもしれません。

私も橋田 壽賀子さん同様に自分のことが出来なくなり寝たっきりの状態になったら安楽死を求めるでしょう。妻にも迷惑をかけたくないし介護保険で生きながらえようという気はありません。

そして、こんな理想的な逝き方もありました。
それは私の叔母です。充実した老人ホームで旅立ちました。
そのとき、いとこである息子はこうゆう手紙を私に送ってきたのです。
母は戦争を生き抜き、父を亡くしてからは、女手ひとつで3人の私たち子供を育て上げてくれました。ホームに入ってからは読書が好きで本をよく読み、亡くなる前日まで日課の新聞を読んでいました。
六人の孫、四人のひ孫に恵まれ家族みんなに見守られ94歳で眠るがごとく安らかに遥か空へと旅立ちました。
今は母の優しい笑顔が鮮やかに思い出されます。

私も愛した妻と二人の娘と只一人の孫に看取られ旅立ちいたします。

そのときは「ありがとう・さようなら」と言って・・・・。






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