2016年07月22日
NHK武田真一アナが語る裏話
熊本地震で実家や親族が被災・自宅の片付けなどを通じて、
災害報道の教訓…
「本気で命を救うんだという決意を」
熊本地震から3カ月。熊本市出身で平日の夕方7時からのニュース7でおなじみの「NHKの武田真一アナウンサー(48)は、発生直後から被害や復旧・復興の状況を日々のニュースで伝える一方、特集番組で故郷への思いもにじませてきた。武田アナは、当時の思いや災害報道におけるアナウンサーの責任について話ていました。
武田アナは本震のあった4月16日夜の「NHKスペシャル」で、「熊本県は私のふるさとです。ふるさとを思うと、胸が締め付けられます」と心情を吐露。番組終盤では「この災害を乗り越えましょう」と現地に呼びかけました。
また、私は5人兄弟なのですが、みな地元を離れて暮らしています。発生直後、互いに連絡を取り合っていたのですが、うまく家族や親族と連絡が取れず、不安の声が募っていました。故郷を離れた私のような人たちも、全国にいらっしゃるのではないか。そういう思いも共有したいと思いました。
武田アナは地震発生から10日ほど後、被災した実家や親族の家の片付けなどで休暇をとり熊本に帰郷。その体験などを通じて、自身の仕事も見つめ直したという。
阿蘇に母が住んでおり、妻の実家が熊本市の、益城町の近くにありまして、そこの片付けに行きました。幸い、母の体は無事でしたが、妻の実家では、家の壁が壊れたり、建物にひびが入ったりしていました。
帰郷前の話ですが、妻の実家では2回目の地震で、アルミサッシの大きな窓が外れてしまったと聞きました。その日の予報が雨で、雨が降り込んだら家の中がめちゃくちゃになってしまう。たかだか窓一枚なのに、私も家族も、絶望的な気持ちになりました。ましてや、大切な方を亡くされたり、家が全壊された方々はどんな思いを抱かれているのか。そう思うと、胸が締め付けられるようでした。
帰郷した際、妻の実家で壊れた家具を運び出したり、床に散らばった砂壁などを片付けながら、改めて感じたことがあります。復旧・復興の第一歩とは、こうして壊れたものを一つ一つ、地道に片付けていく作業だということです。
私たちはあの番組を放送するにあたり、「被災した方々の状況を代弁し、日本全国にその声を届けたい」というメッセージを込めた方がいいと考えました。番組・キャスターとしての立ち位置を鮮明にするために、ああしたことを申し上げました。
私たちはいつも、「命を救いたい」「復興を早めたい」という思いで放送をしています。ただ、情報や言葉だけではどうしようもない部分がある。だからこそ、現場で汗を流し、泥にまみれて復旧に当たっている方々、被災した方々の苦労を思いながら、取材、放送に当たらないといけない。それを忘れた報道や取材は厳に慎むべきだと、改めて感じました。
エコノミークラス症候群に関しても、「時折手足を伸ばしてください」「可能であれば水分補給をしっかりおこなってください」と申し上げました。ただ、「水なんてない」「そもそも水分をどれくらいとればいいのか」といった指摘もありました。そうしたことを追加で取材し、より具体的な情報を伝えるべきだったと感じています。現場の最新の状況はどうなのか。放送がどう受け止められているのか。そうしたことをリアルタイムでフィードバックしながら、アナウンスをしていかないといけない、と感じています。
武田アナの現在の肩書は「シニアアナウンサー」。NHKでは、若手アナの指導にも当たっています。
これは若いアナウンサーにいつも言っていることなのですが、「本気で命を救いたい」という心構えが大切だと思っています。
私たちの仕事は、声で情報をお伝えすることだけです。だからといって、声で命を救おうということに懐疑心を持ってはいけないと思うのです。情報をお伝えするだけの立場であるからこそ、その情報で「本当に命を救うんだ」という決意がないと、実感のこもった声、伝わる放送にはならないと思っています。
アナウンサーは、マイクに、放送に、そして視聴者に一番近いところにいる存在です。災害が起きたときには、一瞬の判断が必要になってきます。
そう云えば熊本地震ののち、武田アナはニュース7でちょつと疲れた感じの表情で体調がすぐれないのかと心配しておりましたが、その原因がこのプレスで分かり、これからもNHKを代表するアナウンサーとして活躍してほしいと願っています。
(一部SANKEIプレスより抜粋)
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災害報道の教訓…
「本気で命を救うんだという決意を」
熊本地震から3カ月。熊本市出身で平日の夕方7時からのニュース7でおなじみの「NHKの武田真一アナウンサー(48)は、発生直後から被害や復旧・復興の状況を日々のニュースで伝える一方、特集番組で故郷への思いもにじませてきた。武田アナは、当時の思いや災害報道におけるアナウンサーの責任について話ていました。
武田アナは本震のあった4月16日夜の「NHKスペシャル」で、「熊本県は私のふるさとです。ふるさとを思うと、胸が締め付けられます」と心情を吐露。番組終盤では「この災害を乗り越えましょう」と現地に呼びかけました。
また、私は5人兄弟なのですが、みな地元を離れて暮らしています。発生直後、互いに連絡を取り合っていたのですが、うまく家族や親族と連絡が取れず、不安の声が募っていました。故郷を離れた私のような人たちも、全国にいらっしゃるのではないか。そういう思いも共有したいと思いました。
武田アナは地震発生から10日ほど後、被災した実家や親族の家の片付けなどで休暇をとり熊本に帰郷。その体験などを通じて、自身の仕事も見つめ直したという。
阿蘇に母が住んでおり、妻の実家が熊本市の、益城町の近くにありまして、そこの片付けに行きました。幸い、母の体は無事でしたが、妻の実家では、家の壁が壊れたり、建物にひびが入ったりしていました。
帰郷前の話ですが、妻の実家では2回目の地震で、アルミサッシの大きな窓が外れてしまったと聞きました。その日の予報が雨で、雨が降り込んだら家の中がめちゃくちゃになってしまう。たかだか窓一枚なのに、私も家族も、絶望的な気持ちになりました。ましてや、大切な方を亡くされたり、家が全壊された方々はどんな思いを抱かれているのか。そう思うと、胸が締め付けられるようでした。
帰郷した際、妻の実家で壊れた家具を運び出したり、床に散らばった砂壁などを片付けながら、改めて感じたことがあります。復旧・復興の第一歩とは、こうして壊れたものを一つ一つ、地道に片付けていく作業だということです。
私たちはあの番組を放送するにあたり、「被災した方々の状況を代弁し、日本全国にその声を届けたい」というメッセージを込めた方がいいと考えました。番組・キャスターとしての立ち位置を鮮明にするために、ああしたことを申し上げました。
私たちはいつも、「命を救いたい」「復興を早めたい」という思いで放送をしています。ただ、情報や言葉だけではどうしようもない部分がある。だからこそ、現場で汗を流し、泥にまみれて復旧に当たっている方々、被災した方々の苦労を思いながら、取材、放送に当たらないといけない。それを忘れた報道や取材は厳に慎むべきだと、改めて感じました。
エコノミークラス症候群に関しても、「時折手足を伸ばしてください」「可能であれば水分補給をしっかりおこなってください」と申し上げました。ただ、「水なんてない」「そもそも水分をどれくらいとればいいのか」といった指摘もありました。そうしたことを追加で取材し、より具体的な情報を伝えるべきだったと感じています。現場の最新の状況はどうなのか。放送がどう受け止められているのか。そうしたことをリアルタイムでフィードバックしながら、アナウンスをしていかないといけない、と感じています。
武田アナの現在の肩書は「シニアアナウンサー」。NHKでは、若手アナの指導にも当たっています。
これは若いアナウンサーにいつも言っていることなのですが、「本気で命を救いたい」という心構えが大切だと思っています。
私たちの仕事は、声で情報をお伝えすることだけです。だからといって、声で命を救おうということに懐疑心を持ってはいけないと思うのです。情報をお伝えするだけの立場であるからこそ、その情報で「本当に命を救うんだ」という決意がないと、実感のこもった声、伝わる放送にはならないと思っています。
アナウンサーは、マイクに、放送に、そして視聴者に一番近いところにいる存在です。災害が起きたときには、一瞬の判断が必要になってきます。
そう云えば熊本地震ののち、武田アナはニュース7でちょつと疲れた感じの表情で体調がすぐれないのかと心配しておりましたが、その原因がこのプレスで分かり、これからもNHKを代表するアナウンサーとして活躍してほしいと願っています。
(一部SANKEIプレスより抜粋)
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