2012年07月27日
危ない関係 / マネキン編
その昔、博多名産の辛子明太子のテーパートで催事販売をしていました。
月に一度ほど地方のデパートに行っていたのです。
そして今、そのときの静岡の夜を思い出したのでお話いたしましょう。
静岡○坂屋のデパ地下での初日の売上げは37000円ほどでした。
繁盛店の10分の1しかありません。
二日目、三日目も同様でパァ−つとしないんです。
この売上げを女性マネキンさんと私の二人でやったのですがのです。
お客が少なくて暇をもてあます始末でマネキンの彼女との私語雑談で
時間をつぶすありさまです。
そして、彼女は売上げの少ないことをとても心配して同情をして
くれたのです。30才代のポチャ系の可愛い女性でした。
訳あって離婚したことも売り場で話してくれたのです。
4日目の閉店近くでした。
「社長はどこに泊まっているの・・・」
この業界では販売に来た私たちを彼女たちは皆、社長と呼んでいる
ようなのです。まぁー、たしかにマネキン代は私が支払うのですから・・・。
「いつも旅まわりなんですか?」
どことなしに上目使いで聞きました。私は今回が始めてと云うと
「そぉー、それじゃ一人じゃ淋しいでしょ、今晩飲にいきましょう ょ〃。私、案内するわよ」
閉店後、二人並んで静岡のネオン街を歩いたのです。
そして知らない始めての土地でとても開放感も感じたのでした。
案内されたのは余り大きくないスナックのような店でした。
駿河湾で採れたという旨い魚を食べながら
飲むほどに彼女との会話が盛り上がってきたのです。
二人でカラオケのデュエットもしたりして・・・。
もう売上げのことなどすっかり忘れて静岡の夜が更けていったのです。
そして私たちは互いに男女の何かを感じ
「私、久しぶりだわ~こんな夜は・・・・・・ねぇー社長」
その言葉で私たちは肩を寄せ合って目的の場所に向かったのです。
参加しています
こちらをクリックして頂けると嬉しいです!
月に一度ほど地方のデパートに行っていたのです。
そして今、そのときの静岡の夜を思い出したのでお話いたしましょう。
静岡○坂屋のデパ地下での初日の売上げは37000円ほどでした。
繁盛店の10分の1しかありません。
二日目、三日目も同様でパァ−つとしないんです。
この売上げを女性マネキンさんと私の二人でやったのですがのです。
お客が少なくて暇をもてあます始末でマネキンの彼女との私語雑談で
時間をつぶすありさまです。
そして、彼女は売上げの少ないことをとても心配して同情をして
くれたのです。30才代のポチャ系の可愛い女性でした。
訳あって離婚したことも売り場で話してくれたのです。
4日目の閉店近くでした。
「社長はどこに泊まっているの・・・」
この業界では販売に来た私たちを彼女たちは皆、社長と呼んでいる
ようなのです。まぁー、たしかにマネキン代は私が支払うのですから・・・。
「いつも旅まわりなんですか?」
どことなしに上目使いで聞きました。私は今回が始めてと云うと
「そぉー、それじゃ一人じゃ淋しいでしょ、今晩飲にいきましょう ょ〃。私、案内するわよ」
閉店後、二人並んで静岡のネオン街を歩いたのです。
そして知らない始めての土地でとても開放感も感じたのでした。
案内されたのは余り大きくないスナックのような店でした。
駿河湾で採れたという旨い魚を食べながら
飲むほどに彼女との会話が盛り上がってきたのです。
二人でカラオケのデュエットもしたりして・・・。
もう売上げのことなどすっかり忘れて静岡の夜が更けていったのです。
そして私たちは互いに男女の何かを感じ
「私、久しぶりだわ~こんな夜は・・・・・・ねぇー社長」
その言葉で私たちは肩を寄せ合って目的の場所に向かったのです。
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Posted by takachan
at 12:45
│Comments(2)
東京は連日猛暑日でグッタリです。
単身の旅回りは商売上マイナスです。
デパートでは必ずマネキンさんを使わなければなりません。
同業者のつわものは販売先に親しいマネキンさんとの浮ついて話もあります。
そんな意味もありまして東北巡回には妻と同行したのです。
ともあれ、どう生きても一生なのですから、そういうのもイイかもしれませんが。