たまりば

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2017年11月17日

助けてヤバイ、電車内で急に「パニック障害」これで完治 NO2


みなさま、こんにちは。前回のつづきをお送りいたします。
すっかり発作のことを忘れ一ヶ月すぎたころ駅に用事がありバスに乗ったのです。駅前周辺が渋滞していたため、なかなか駅へ着きません。その時でした。なんと発作が起きたのです。運転手さんに体調不良を話して安全な場所で降ろしてもらい持っていた薬を飲みました。
この時、祈祷師のことをとても不信に思ったのでした。その後、いろいろなところに行ったのですが結局ダメでした。
そんなことがつづき失望していた時、ある健康雑誌に自律神経失調症に効く温泉の紹介記事が出ていました。山梨県にある増富温泉で温泉は微量な放射線を含むラジウム泉でした。
場所は(中央道・1時間45分)→ 須玉IC →(一般道・30分)→ 増富温泉です。
増富温泉には数件の旅館がありますが「不老閣」という旅館の温泉が一番とのこと。早速、予約を入れ車でまいりました。
とりあえずためしに3日間の宿泊にしました。この宿は主に養療目的の湯治客が多く社長は厚労省認定の温泉指導士、女将は温泉養療士の資格をもち私たちにいろいろとサポートしてくれる本格的湯治ができます。


       (放射線を含んだラドン泉)  


宿に着いて早速温泉に入りました。自然の岩に囲まれた岩風呂は温度がとてもぬるく、かといっても入浴しても寒くはなく、何か体にジワーと感じるものがありました。温泉には独特の匂いがあります。ゆったりと浸かっているととても気持ちの良いものでした。そしてお風呂は温度がちがう五種類あり、それぞれにラジウム泉からの放射線が含まれています。
初日は何種類かの温泉に入ってみました。しかし翌日になると体がとてもだるくなり女将に聞くと過敏症の人は温泉の湯当たりが早いと説明され、
「岩風呂の温泉はとても強い放射線ですので一回の入浴にして体がなれてきたら二回までにして下さい。あとは弱い温泉に入ってね」
布団をひいてもらい食事以外はずうと寝ていました。夜もいままでになく熟睡し三日目の朝には気分がとても爽快になったのです。なんとなく体も軽く、お腹もすいてきました。
自分でも体の変化に気がつき女将に、このまま湯治をつづけてよいかを尋ねると自律神経失調症の場合一週間ほどが適当と云われそのようにしたのです。また女将から二日目によく寝れたのは、いままでの蓄積していた体の疲れとストレスのためと説明されました。
そして四日目の朝のことです。洗面所で歯をみがき終って鏡を見ると舌の白いこけがとれてきれいな赤色になっているのに気が付き、女将に尋ねに行きました。
女将は
「これはラジウムからの放射線の作用で体の新陳代謝が良くなってきたからです。もう少し入浴を続けますとどんどん悪いところが代謝されていき自分が持っている自然治癒力が高まってきて、あなたの場合は自律神経のバランスつまり交感神経と副交感神経が整いますよ」

一週間が過ぎました。とにかく食欲が旺盛になりました。頭がスッキリしました。体もとても軽くなりました。そして精力も沸いてきたのです。
あまりの嬉しさに妻に電話して、この温泉に来るよう呼んだのです。
宿泊を延長し翌日、妻が来てくれました。開口一番、妻は

「おとうさん、まぁ~人相変わりましたよ。そして顔色もね」

とても喜んでくれたのです。
その夜、妻と深い深い交わりを行いました。その感覚は今までにない、とても凄い感覚でした。妻も私と共に恍惚を感じてくれたのです。

こうして辛く苦しんだ「パニック障害」から完全に開放されたのです。

増富温泉・不老閣 http://www.furoukaku.jp/radium.php


☆私の医療体験過去ログ
「痛くなかった大腸内視鏡検査とホリープ切除」
http://tachikawa.tamaliver.jp/e29645.html
「怖くて書けない病院の裏側」
http://tachikawa.tamaliver.jp/e220232.html

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  • Posted by takachan  at 19:03Comments(2)

    2017年11月10日

    助けてヤバイ、電車内で急に「パニック障害」


    寒かったり、暑かったり、気温差が激しい季節ですね。そんな季節の変わり目ですが、この時期になんだか体調がすぐれない、自律神経の調子がよくない、という方も少なくないかもしれません。
    といいますのが私、30代のころ自律神経失調症になりました。当時は心療内科などはなく、具体的には今でいう「パニック障害」です。あるとき所用で仙台に行くため特急に乗り週刊誌を読んでいたときでした。急に心臓がドキドキし胸が苦しくなり呼吸困難になったのです。
    無意識に車内の洗面所に駆けつけ顔を見ると真っ青で体がブルブルと震えていて、これはヤバイと思い車掌室に飛び込み車掌に体調不良を訴えたのです。

    ところがです。車掌に話して次の停車駅で救急車の手配しますとの返答で急に気持ちが楽になり心臓も呼吸も元にもどったのです。そこで車掌に救急車の取り消しをしてもらい、その後なにごともなく仙台に着きました。ところが帰りのことを考えたら、もし又、電車の中で発作がおきたらと心配になり帰りは各駅停車の電車なら発作がおきたら駅で救急車を呼ぶようにしたのです。それ以来、電車に乗るのがとても怖くなったのです。普通の人が考えたらおかしな話と思うと思いますが私にすれば発作は死ぬような苦しみでした。
    この「パニック障害」をどのようにして治したかその過程をお話ますが、この辛い苦しみから開放されたいため、なんとも今思うと笑い話になるようなことまでしたのです。お楽しみに・・・。
    東京に帰宅後早速かかりつけの医院に行って症状を先生に説明すると、まず心電図の検査をしましたが、異常がないと説明され、次に負荷心電図をとりましたがこれも異常なし。




    そこで先生は小平にある「国立精神・神経センター」に紹介状を書いてもらい早速行ったのです。そこでの診断の結果は「心臓神経症」と云われ、ストレスなどが原因で起きる自律神経神経症とのことで精神安定剤を処方されました。
    しかしこの薬を飲むと頭がボャーとして昼間でも眠くなり仕事が出来ない状態になっちゃいました。当時は心療内科や薬の種類も少なく、したがって副作用が出ても代替品がありませんでした。ですから電車に乗るときだけ服用していましたが時には眠くなり乗り過ごすこともありました。
    何日か後、服用しないで寝ている時に発作がおき、あわてて薬を飲んだのです。
    電車だけでなく就寝時にも起きるようになってしまいました。
    その時、私は医療の限界を感じたのです。今でいう「うつ病」という病名もありませんでした。自律神経失調症やノイローゼが一般的病名でした。



    たまたま妻が読んでいた女性週刊誌の記事にテレビなどに出ている有名な祈祷師のことが載っていて、どんな難病でも祈祷とお払いで治ると体験者の談話が書いてありました。どうしても治したい一心でその祈祷師のところに行って祈祷とお払いをうけました。そしてお札を書いてもらい料金は30万円でした。テレビなどで有名なのだから仕方ないと思いましたし、当時ガソリンスタンドを経営していて経済的には豊かでしたので治るならと思ったのです。

    家に帰り早速、お札を柱に貼りました。不思議なことにそれから約一ヶ月は発作は起きませんでした。
    すっかり発作のことを忘れ一ヶ月すぎたころでした。全く予期しないことが起きたのです・・・。
    しかし、この 「パニック障害」がある方法で完治したのです。お楽しみにしてください。
                        
    (以下次号)       

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  • Posted by takachan  at 09:57Comments(2)

    2017年11月03日

    なんと世界中に一億台売ったものは・・?


    みなさま、こんにちは。紅葉の季節になり月日のたつのが早く感じます。
    私か゛小3のころだったと思います。近くの自転車屋のおじさんが戦争で片足を失い自転車に小さなエンジンと燃料タンクを付けて走っている姿をよく目にしたのです。子供心にも、こがなくて走る自転車がすごく魅力的に思いました。これこそが原動機付自転車の原点で、今のミニバイクを「ゲンチャリ」などと呼ぶようになりました。
    この、おじさんが乗っていた原付自転車こそ、今年10月一億台突破したホンダ・スーパーカブの原点でした。
    ここで「HONDA」が世界を相手にした本田技研工業のはじまりの資料を入手しましたのでお伝えいたしましょう。
                  ☆
    戦前からすでに自動車修理事業などで成功していた本田宗一郎さん。
    1946年(昭和21年)10月に、現在の本田技研工業の前身である本田技術研究所を設立しました。
    そして陸軍の通信機用発電機のエンジン(払い下げ)を利用した自転車に取り付ける装置を開発、発売。
    払い下げエンジンが底をつくと、自社最初の独自設計の量産エンジン「A型自転車用補助エンジン」の生産を開始します。
    「Honda」ブランド「カブ」のスタートです。
    1948年(昭和23年)9月、本田宗一郎さん本田技研工業を設立して
    ホンダA型のヒットをきっかけに、本田宗一郎さんは1948年に本田技研工業株式会社を浜松に設立。本格的な二輪車の研究が始まります。資本金100万、従業員20人。
    翌年には藤沢武夫さんとの二人三脚体制がスタート。


    昭和27年(1952)に、本田はオートバイ販売の全国展開を進めるため、本田技研工業の本社を浜松から東京へ移転しました。この東京移転の最中、白いタンク・赤いエンジンカバーのカブF型が生産され脚光を浴びました。カブF型は、自転車に簡単に取り付けでき、女性でも気軽に運転できる原動機付自転車でした。本田技研工業では全国の自転車販売店5万5千軒にダイレクトメールを送付し、全国から注文が殺到しました。この、カブF型が爆発的な売れ行きで、当時業界全生産の70%を占めた時期もありました。これに刺激を受け、全国でオートバイメーカーが濫立し、浜松にも30社以上のオートバイメーカーが生まれました。




    スーパーカブが日本で新発売されたのは1958年(昭和33年)でした。
    ホンダ創業者のひとりで経営と営業の最高責任者であった藤澤武夫(1910ー1988)がプロデュースし、開発プロジェクトのゼネラル・リーダーは創業社長で叩き上げの技術者である本田宗一郎(1906−1991)その人だった。
    〈誰でも気軽に乗れるスマートな二輪で、乗って走れば快適で、しかも廉価〉という、よく練られた商品企画を、あますところなく商品化したスーパーカブは、たちまちのうちに大ヒット商品になる。新発売年は5か月で2万4千台が売れ、発売2年目は年間約16万7千台で、その年に日本で販売された二輪車総台数の約60%がスーパーカブだった。発売3年目の生産台数は約56万台に跳ね上がり、凄まじい人気車種になりました。



    当然のことながらスーパーカブはホンダに巨大な利益をもたらしました。そのとき藤澤武夫氏が構想した経営施策は、実にホンダらしいダイナミックな世界戦略であったのです。
    この世界戦略が成功してなんと一億台というスーパーカブが売れたのです。
    結局、良いものは長く売れ続くということがわかりました。

    ☆思い出の過去ログ
    「フェリーで出逢った女」
    http://tachikawa.tamaliver.jp/e342488.html

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  • Posted by takachan  at 10:05Comments(4)